アゼルバイジャンで犯罪歴が残った話 (2)

 旧ソビエト連邦のアゼルバイジャンという国で逮捕及び拘束され、犯罪歴が残った話の第2話です。第1話及び第3話は下記リンクより進んでください。
アゼルバイジャンで犯罪歴が残った話 (1)
アゼルバイジャンで犯罪歴が残った話 (3)

バクーのフレイム・タワー

 バクーの某所にある警察署に到着すると僕と僕のパスポートが警備員から警察官へ引き渡された。

警察官A「日本人か?」

僕「そうです。」

警察官A「ロシア語は話せるか?」

僕「話せません。」

 もう何度目になるのかこのやり取り。しかし、これ以外は言われていることが全く理解できない。入り口近くのベンチに座る様に促され5分程待っていると、1人の男が僕の前に立った。僕よりも大分若く見える。ジェルで髪を整え、ピチピチのTシャツに、ケミカルウォッシュのジーンズ。先の尖った革靴を履いている。いかにも流行に敏感なアゼルバイジャンの普通の若者と言った感じだ。彼は英語で僕に挨拶をした。どうやら通訳として連れてこられた様だ。

若者「君は何をしたの?」

僕「何をしたのか、それがわからないんだけど。」

 彼は少し不思議な顔をし、警察官Aと話し出した。そして、納得した様な顔つきなった。

通訳「彼らは、君が軍の施設に侵入して写真を撮っていたと言っている。それは本当か?」

 僕は即座にNoと答えたが、そう答えてからはっとした。まさか公園最上部の、あのたった2mのお粗末な壁の向こうが軍の施設なのか。

僕「僕が入った場所は公園の一部だと思っていた。軍の施設だとは思いもしなかった。」

 通訳は、警備員や警察官達に僕の言っていることを伝えながら、彼らが言っていることを僕に対して通訳する。彼も僕と同様に英語のレベルが高くない。そのため、僕に伝えられる言葉はゆっくりで、極々シンプルなものだ。

若者「君はパスポートに沢山のスタンプがある。彼らは君がスパイじゃないかと疑っている。」

若者「パスポートは暫くこちらで預かると言っている。」

若者「君はこの警察署にいなくてはならない。」

 僕はただそれを呆然と聞いていた。ここで初めて現在自分が置かれている状況の深刻さを悟った。

若者「彼らは君が撮影した写真を見たいと言っている。確認してもいいか?」

 彼らにカメラの操作方法を説明するが、頭の中は混乱状態である。そんな僕をよそに彼らは半ば楽しみながら写真を見ている様である。「ああ、これは国境だよ。」とか「これはあそこのショッピングモールの前だ。」とかそんな話がされているに違いない。彼らは一通りの写真を見終えると、カメラを僕に手渡した。

若者「着いてきて。」

 そう言われてベンチを立つと、警察官Bと通訳の後に続いた。入り口から薄暗い廊下を通って僕が連れてこられた部屋は、壁沿いに白い木製のベンチがひとつ、鉄格子のある窓がひとつ、事務机がひとつ、入り口とは他のドアがひとつあるだけのシンプルな部屋だった。机の上に置かれたパソコンと積み上げられた書類。警察官と若者はまだ何かを話しているが僕には関係のない話題であろう。談笑している。

僕「すみません。どのくらいで出られますか?」

 若者が通訳訳する。

若者「彼にはわからない。明日か明後日には出られると思うと言っている。」

僕「明日か、明後日。」

 苦笑する僕に通訳が続ける。

通訳「これは大きな問題ではない。君が撮った写真にも問題はなかった。しかし、これは犯罪だ。」

通訳「犯罪?僕はただ壁に登っただけだ。」

通訳「いや、これは犯罪だ、と彼らは言っている。」

 その言葉を聞いて落胆した。「これは犯罪だ」、「これは犯罪だ」、「これは犯罪だ」、彼の言葉が何度も頭の中をループする。正直なところ、この瞬間まで楽観視していた。「僕は何もしていないから大丈夫だ」、そう思っていた。でも、客観的に見た僕は違うのかもしれない。アルメニアと緊張状態にあるアゼルバイジャンの軍事施設に忍び込んだ270mmの望遠レンズを付けた一眼レフを持った外国人。彼が喋っている言葉は全く分からない上に、パスポートには70ヶ国以上渡航した記録がある。そんな奴を解放できるのか、誰が考えても答えはNoだ。犯罪者を裁く手続きはどうだ。これから取り調べが行われるのか。日本でいう書類送検に近い手続きがとられるのか、それとも本当に牢獄行きなのか。しかし、一方で馬鹿みたいにポジティブな自分もそこには存在していた。 「これネタとして面白いんじゃね?」  だが、やはり、数日で出られる保証などどこにもなく、助けてくれる人もいないことを考えれば、このまま彼らの言いなりになっているわけにもいかない。腰を上げて彼らに言った。

僕「日本大使館に電話してくれ!」

 通訳がそれを警察官Bに対して訳す。警察官Bは面倒臭そうな顔で何かを言った。

通訳「電話番号はわかる?」

僕「・・・わかりません。」

 通訳がそれを警察官に伝えると、警察官はそれを鼻で笑った。そして、威圧的にこう言った。通訳ではなく、その警察官が。

警察官B「Sit down, please!!(座っていろ!)」

 虚を付かれた僕は何も言い返せない。すごすごとベンチに戻り、そこに腰掛けると、「お前なんでその英語だけ喋れるんだよ。」と心の中で呟いた。

 部屋には大粒の雨がトタン屋根を叩く音だけが響いている。警察官Bと通訳の若者が部屋を出て行ってから2時間、この部屋には僕とパソコンと書類だけが残されていた。時々、警察官が入ってきて僕を見つけ、「なんだ使用中か」という表情を浮かべて出て行く。僕と同じ様に何かしらの罪を犯した人間をこの部屋に監禁しておきたかったのかもしれない。何もできない無力感と、どうなるかわからない不安との戦い。僕にとってこの2時間は辛いものだった。
 僕が座らされていた木製のベンチは、座面が狭い上に水平ではなかった。ベンチが座られるのを嫌がっているかの様に僕のお尻を滑り落とし、腰の筋肉に負荷をかける。ある意味地味な拷問である。耐えられなくなった僕は辺りを伺いつつベンチを立ち、部屋の中を歩いてみた。パソコンの横に置かれた書類には僕の名前と国籍やパスポート番号などの個人情報がきっちりと記載され、大判の判子がいくつも押されている。そして、その書類の下から顔を出すのはパスポートの全ページのコピー。これが今現在、僕が僕であることを証明できる全て。そして、犯罪者として登録される全ての情報である様に思えた。「これは犯罪」、あの言葉が何度も僕の頭の中をループする。アゼルバイジャンでは犯罪者か。そう思うと憂鬱な気分になる。無事ここから解放されたとして国境で止められたりしないのかと不安になる。だが、その前に通訳の口から発せられた「大きな問題ではない。」という言葉もまた同様に僕の頭の中をループしている。確かに状況から言ったら後者だ。小部屋に一応監禁されているものの、ドアに鍵はかかっておらず拘束はされていない。常に見張りがいるわけでもない。荷物検査もなければ、持っているiPhoneなどの通信機器を没収される訳でもない。パソコンも取り上げられていない。時々、窓から顔を出した警察官が
「☆$※;◎#▲※★?中国人か?」
と聞いてきたり、日本人とわかると、
「ニンジャ!」
「スシ!」
「フォー!!!(ジャッキー・チェンの真似だと思われる。ジャッキー・チェンが日本人だと思っている外国人は多い。)」
などと陽気に声を掛けてくる。軍事施設の警備員達より格段にフレンドリー。
「お前ライター持っているか?」
と、ジェスチャーで尋ねてくる警察官さえいる。なんとなく悟る、彼らにとっては「大きな問題ではない。」が、一応犯罪である以上、それに相応しい手続きを踏まなければならず、それに時間が掛かるということ。「この考えはポジティブ過ぎるか」、自らで否定しつつも、そうであって欲しいという希望を込めた。

 それから更に1時間が過ぎた。トタン屋根を打っていた雨の音はもう聞こえない。「今夜はここに泊まるのか」、そんなことを考えていた時にドアの開く音がした。何回も繰り返されたドアが開くという出来事に一喜一憂しなくなった僕は、首すら動かさずドアに目をやると、一人の男が部屋に入って来るのが目の端に映った。これまで会った人物とは明らかに雰囲気が違う。直感で悟る。
「こいつが僕の運命を握っているに違いない!」
 すぐにベンチを立った。

 - 続く -